令和 3年 12月 31日 金曜日
晴れ 最高気温:7度
散歩:40分 酒:〇 体調 : △
2時半頃に御叱呼をもよおしてきて起きた後しばらくして何とかまた眠れて6時半にまた御叱呼をもよおしてきて起床する。睡眠時間7時間ほど、寝起きの気分はまずまず。
気温4℃で起きた時は曇り空だったが1時間後には晴れてきた、散歩は40分コースをいつもより遅く歩きはじめる、風が冷たくとにかく寒い。
昨晩9時半頃に茨城の朋子たちが到着してしばらく3人の子供たちで大騒動、自分は10時過ぎにはベッドに入っていていつもの時間には眠ることができた。
今朝はいつもとは少し違って散歩から帰ってきてすぐに朝食、食後のコーヒータイムはなくてすぐに妙徳寺に行く、お寺では久しぶりに渕さんに会うことができて外での立ち話ではあったが15分ほど寒いながらも楽しくお話をすることができた。
帰宅したのは11時前でまだ朋子たちは居て11時過ぎて浮羽に向かって出て行った。
その後一人で持田家のお墓掃除に行く、それが終わって梅林に寄って梅の小枝とおかめ笹に水仙の花が数本咲いていたので採って帰る。
それからやっとコーヒータイムになり新聞を広げて読み始めるが毎年のことながら年末のこの日の新聞は読みたい記事はあまりない。いつもより遅く1時過ぎて前半のPC作業を開始する、気温6℃で天気はいいのだが寒い。
昼食後は玄関掃除をして昨日山ら採ってきていた松の枝を使って玄関前に松竹梅の飾りを作る、今年はしめ縄はやめてこれだけにする、家の中の鏡餅ももう何年か前から飾ってない、正月らしい飾りはこの松竹梅だけ。その後は夕食の準備とヨシケイから鰤の片身を買っていたのでそれの裁きを多美子の指導に従ってやる。やっと終わったのが5時でその後少々疲れてしまってコタツで休憩してから5時半になって最後のPC作業を開始する。
この後6時間後には年が明けて令和4年になり、自分も一か月後には80歳になる。
仲畑流万能川柳より
ポイントが消える消えると急かされる
ぴったりの子供服買うお金持ち
核の傘よりも非核の傘ほしい
さりげなく強肩見せるアンパイア
無観客みたいなものだ家族葬
毎日俳壇より
麗かや墓石に刻むありがとう
【解説】世界的な疫病の流行は、投稿作品にも様々に反映した。「ありがとう」
の一語は、この世とあの世を結び「麗か」という季語が今生きる私たちを包む。
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