令和 3年 10月 31日 日曜日
仲畑流万能川柳より
毎日俳壇より
赤蜻蛉夕日の溜まるひとところ
令和 3年 10月 31日 日曜日
仲畑流万能川柳より
毎日俳壇より
赤蜻蛉夕日の溜まるひとところ
令和 3年 10月 30日 土曜日
毎日俳壇より
色鳥の声にも色のありにけり
令和 3年 10月 29日 金曜日
毎日俳壇より
甲斐に未だ本籍のあり山粧ふ
令和 3年 10月 28日 木曜日
毎日俳壇より
雲曳いて天女の如き小望月
令和 3年 10月 27日 水曜日
毎日俳壇より
秋の炉の南部鉄瓶鳴りつづく
令和 3年 10月 26日 火曜日
毎日俳壇より
新米の母のむすびに如くはなし
令和 3年 10月 25日 月曜日
脳トレ川柳より
毎日俳壇より
閉門の老いの学びや白木槿
令和 3年 10月 24日 日曜日
毎日俳壇より
烏瓜揺れて職退きて一ヶ月
令和 3年 10月 23日 土曜日
毎日俳壇より
ものの影踏みつつ歩く良夜かな
令和 3年 10月 22日 金曜日
仲畑流万能川柳より
毎日新聞・余録より
秋深き隣は何をする人ぞ 松尾芭蕉
【解説】この句は芭蕉が大阪で最後の句会に出た夜に作られたそうだ。1694(元禄7)年11月15日(旧暦9月28日)。翌日から床に伏し、2週間後に死去した。赤痢で体調を崩したとみられている。秋の夜長に人恋しさを感じたのだろうか。
令和 3年 10月 21日 木曜日
仲畑流万能川柳より
毎日俳壇より
仏壇に銀座のもなか秋彼岸