2019年4月18日木曜日

昭和の森のナンジャモンジャの木

   平成31年4月18日 木曜日


 曇り時々晴れ  最高気温:21
 散歩:27分  体調:× 酒:〇

 7時起床、今朝もこの時間までトイレは我慢できた、睡眠時間7時間半、気分はまずまず、散歩でのランニングは200m過ぎたあたりからきついなあと感じながら走っていてとうとう700mでダウンしてしまった、今日は踏ん張りが利かない。  
朝食の後木彫り教室に行く多美子を郵便局前のバス停まで送って行き帰宅後コーヒータイム、その後は1時間ほど読書。


  11時からひまわり会(四王寺坂の老人会)の年度初めの総会があるので出席する。 補聴器を付けていくのを忘れていて話がよく聞こえなかったのもあるがおそらくよく聞こえていても話の内容が即座に理解できないような気もした。
こういう会議形式にはまったく馴染めなくて内容が即座に頭の中に入ってこない、やはりボケが始まっているように思える。
とりあえず最後まで居てお弁当の昼食を皆さんと一緒に頂いて帰ってきたのが1時半ごろ。  帰宅後庭の水遣りと草引きを少ししてからはまた読書、他に何もやる気がしない、何となく体を動かす気になれない。
4時に終る木彫り教室の多美子を志免まで迎えに行く、帰宅後PC作業開始。



 仕事をやめてまだ1年経たないがまだ何となくこの何も目標がない今の生き方に馴染めなくて落ち着きがない。  何も目標を持っていないのがいけないのだろうが今の自分はただ死を待っているだけのようだ。
それで良いと思っているのだが、77歳という年齢でいまさら何を目標にしたら良いのか分らない、もうこれからピアノを人前で弾かなければならないということもないし、好きで好きだたまらなくピアノを弾きたいということはない、どちらかといえばピアノはどうでも良いのだが今のところボケ防止にために練習しているだけのことなのだが。
それでもやはりピアノの練習をしなければならないという強迫観念というのだろうか、それは毎日常に気持ちの中にある、何しろ50年以上ピアノを弾いて仕事をしてきたのだからそれも当然かもしれない。 それだけではなくとにかく何かをしなければならないという強迫観念、これは誰にでもあることなのだろうかとよく思うことがある。
とにかく今はただ死を待つのみ、それで良いのではないかと自分に言い聞かせているのだが。
兄貴のブログを見ていて彼の体調がやはり気になる、兄貴は自分とは完全に違う部分がおかしいようでブログを読んでいると自分がずいぶん健康なのだとつい錯覚してしまう、よく考えてみると逆のようにも思えるのだが。
自分は足腰は山歩きで鍛えているお陰で体調がおかしくて何となくきつい時でもとにかく体を動かし始めればそれで1時間でも2時間でもなんとか惰性のように身体は動かせるのだが。 夜中にトイレとかでベッドから起き上がるときは上半身のどこかが痛んだり体がふらついたり、当然毎日の飲酒のせいで肝臓がおかしくなっているはずだし、で決して自分が健康だとは思っていない、そのうちに病気が表に出るのではないかと思っている。

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